大阪高等裁判所 昭和40年(う)548号 判決 1967年2月18日
事務所々在地
大阪市城東区今津町九二七番地
(登記簿上の本店 大阪府布施市新喜多一七九番地の一)
宮下鋼線株式会社
右代表者代表取締役
宮下増平
右の者に対する法人税法違反被告事件について、昭和四〇年一月二二日大阪地方裁判所が言渡した判決に対し、被告会社から控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。
検察官 服部卓 出席
主文
原判決を破棄する。
被告会社を、
原判示第一の罪につき罰金一〇〇万円
原判示第二の罪につき罰金一〇〇万円
原判示第三の罪につき罰金一五〇万円
に処する。
理由
本件控訴の趣意は弁護人大槻龍馬作成の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。
控訴趣意第一点(事実誤認の主張)について。
所論は、要するに原判決はその判示第一事実において、被告会社の昭和三四年事業年度における所得金額は二、二五二万五、一三一円であるのに、売上収入の一部を公表帳簿より除外する等の不正整理をなし、所得金額中より那須野ガーネツト工業株式会社(以下単に那須野と略称する)関係の二二一万七、八一〇円から水増し分三〇万二、四三七円を控除した一九一万五、三七三円の売上除外分を含めた一、四七三万五、〇四三円を秘匿したうえ、右事業年度の所得金額は七七九万〇、〇八八円である旨過少申告をして「同年度の法人税五五九万九、三三〇円を免れた」旨認定し、弁護人の右那須野関係の二二一万七、八一〇円はすべて那須野の依頼により事実その取引があつた如く仮装して那須野振出しの約束手形を割引してやつたものであり、売上げを除外したものではなく、固より水増し分三〇万二、四三七円を那須野に返還した事実もない旨の主張を排斥したけれども、原判決の右認定は証拠の価値判断を誤り事実を誤認したものであるというのである。
よつて調査するに、原判決挙示の大蔵事務官岩崎久次作成の証明書添付の被告会社の布施税務署長に対する昭和三四年五月一日から昭和三五年四月三〇日までの事業年度における所得金額、法人税額確定申告書の写によると、被告会社の右事業年度の所得金額を七七九万〇、〇八八円、これに対する法人税額は二八六万〇、二〇〇円である旨の確定申告が為されていることは明らかである。そして原判決が、右確定申告において被告会社が故ら秘匿したとする所得一、四七三万五、〇四三円のうちに、所論の那須野関係の一九一万五、三七三円も含まれているものとし、これを売上除外でないとする弁護人の主張を排斥したことは所論のとおりである。そこで右那須野関係の一九一万五、三七三円が被告会社の売上除外であるか否かについて判断する。
原審で取り調べた各証拠、就中原審証人岡本元旦、同寺西悦治、同古川巌、同宮下春子及び被告会社代理人宮下平吉の原審公判廷の各供述、原審証人林田貞春、同宮村勉、東茂和に対する証人尋問調書、宮下平吉、林田貞春に対する大蔵事務官の各質問顛末書、宮下平吉作成の各上申書、押収にかかる那須野ガーネツト工業株式会社の支払済請求書綴一二冊(昭和四〇年押第二〇八号の二一)納品書綴二月分一冊(同押号の二六)同三月分一冊(同押号の二七)のほか、当審証人宮村勉、同古川巌の当公判廷の各供述を総合すると、被告会社は予てから柿本商店なる架空名義を用い、架空の材料仕入れを帳簿に計上し、その代金支払の為と称して振出した手形あるいは小切手を各銀行の被告会社のいわゆる裏口座に入金し、又製品の売上げについてもその一部を帳簿に計上せず、あるいは架空の安井商店、柿本商店又は東商店の各名義を用い製品を販売しこれを帳簿上東商店に対する売上げとして過少に計上する等し、その代金として受領した手形あるいは小切手を前記裏口座に入金して資金の蓄積を図つていたこと、ところで被告会社は那須野との間においても昭和三二年頃から毎月二〇日締切り、翌月五日払の約定の下に鋼線材の売買取引を行つて来たが、昭和三三年那須野の専務取締役林田貞春、会計係古川巌から「取引先に対する交際費を浮かせるため、架空仕入れをしたいから協力してくれ」との旨の依頼があつて、那須野側において作成する品名、数量、金額を記載したメモ(当審において取調べたメモもその一部)により柿本商店名義の納品伝票及び請求書を作成して売上げを仮装すると共に、那須野はこれに見合う金額の約束手形を振出し、被告会社は日歩二銭六厘を以てこれを割引くほか、三パーセントの手数料を控除した残額を那須野に交付してその要請に応じて来たが、右のように売上げを仮装した請求書は、正規の宮下鋼線株式会社名義のものがすべて毎月二一日付であるのに対しすべて〇月切日とされ、かつ、その各月末にその支払いが為された如く支払済印を押捺していたこと、本件において争点とされている、昭和三五年三月分については正規の被告会社名義を以て七八六、三二三円の二月二一日付請求書がある一方、柿本商店名義の三月切日付の(A)二四三万五、八三二円、(B)二二一万七、八一〇円の二通の請求書が作成され、それらはいずれも三月分の請求書綴りの中に編綴されていること、そしてこれらに符合する柿本商店名義の納品伝票も存在すること、しかし正規の請求書のものは一月二一日以降二月二〇日までの取引きにかかり三月五日支払いのものであるから、それが三月分に編綴されることは固より当然のことであるが、柿本商店名義のものは二月二三日以降三月二二日までの間において取引のあつたものであり、本来四月分あるいは五月分として請求すべきものであるのに、それが三月分に編綴されることは不自然ではあるが、かかる編綴は五月分、一二月分の各綴りの中にも見られることであり敢えて異とするに足りない。しかし同じ月に右の如く(A)、(B)二通の而もその記載内容の異なる請求書が作成されていることは右の三月分を除いては他に例がないことが認められるのである。そこで右各請求書を正規の請求書と比較し、かつその内容をなす各納品伝票と比較検討すると、(A)(B)各請求書及び(A)請求書の内容をなす納品伝票はいずれも同一人(宮下春子)の筆跡であり、又納品伝票はその筆跡、用紙の汚損度から見て同一機会に作成されたもので納品の都度作成されたとは思われないふしがある。又その伝票にはいずれも那須野の受付印もなく、付記も全くない。ただ検収者として林田の認印が押捺されているだけである。そしてその品名には正規の請求書には見られない「40C」なる記載がありこれは他の架空の請求書の品名の記載と共通するところである。これに反して(B)請求書の内容をなす納品伝票は弁護人所論(但し(4)の数量二九丸とあるは二七丸(7)の二九丸一〇七五kgとあるは三〇丸二九五七kgの誤記と認める)の如く一〇通のうち(7)ないし(10)を除いてすべて那須野の受付印が押捺されており、又(6)、(9)、(10)を除いていずれも「寺西」「寺西、宮下鋼線ヨリ」「宮下鋼線ヨリ」あるいは「宮下ヨリ」と同一人(恐らく寺西悦治)の筆跡とみられる付記が為されているほか、検収者印も(1)(4)を除いて他はすべて、林田と平本、寺西あるいは東田との二個の認印が押捺されているのであつて、これらのことは前記(A)請求書に対応する納品伝票と著しく異なつている。のみならずその筆跡も(1)ないし(3)、(9)(10)と、他の(4)ないし(8)のそれとは異なつており、而もそのいずれにも折目がついていることが認められる。なお(B)請求書は単価が高額である点を除いて品名は他の正規の請求書の品名の記載と全く同一であるということは(A)請求書のその点の記載と比較して大いに注目に値するところである。
以上(A)、(B)の各請求書及びその内容をなす各納品伝票の記載内容、筆跡、受付印等の有無等を比較検討すると、(B)請求書の分は売上除外であることの疑いが多分に存するのである。更に那須野との昭和三五年一月分以降一二月分までの正規の取引状況を被告会社名義の請求書(前同押号の二一)により検討すると、一月分(昭和三四年一一月二一日以降一二月二〇日までの取引分)及び四月分(昭和三五年二月二一日以降三月二〇日までの取引分)を除いて他は最低七八万六、三二三円(三月分)最高三一五万五、八九一円(六月分)の各請求が為されていることから、被告会社は那須野との間において一月分四月分の取引がないとしても毎月一〇〇万円ないし三〇〇万円位相当の取引が為されていたことは明白であるのに、一月分の請求は全くなく、三月分つまり一月二一日以降二月二〇日までの取引額は年間の最低であつて、その翌四月分の請求が全くないということは、極めて不可解である。殊に本件で問題とされているのは二月二三日以降三月二二日までの間に取引が為されたものとして請求されたものが果して架空取引か実取引かというのであつて、もしそれが実取引であるとすれば将に四月分(一部五月分)として請求さるべきものなのである。さればもし問題の右取引がすべて弁護人所論の如く架空のものとすれば被告会社は一月二一日以降二月二〇日までの間(三月分)は年間最低の取引額であつたのに、二月二一日以降三月二〇日までの間(四月分)は全く取引が行われなかつたこととなり、従来の取引の実績に徴し極めて不自然不合理といわざるを得ない。その他(A)請求書の各請求金額に見合う金員が被告会社の前記裏預金から支出されているのに(B)請求書の請求金額についてはそれが見当らない(原審及び当審証人宮村勉の供述)こと、同請求書の請求単価が正規の取引分に比較し高額である為その差額三〇万二、四三七円が那須野に返金されている旨の原審証人林田貞春の供述のあること等とも考え合せ、(A)請求書の分はともかく、(B)請求書記載の分は実取引であることの疑いが多分に存するのである。しかし反面、被告会社と那須野との取引はさきに認定したとおり、毎月二〇日切り、翌月五日払の約定であり、したがつて、正規の請求書はすべて二〇日で切られ二一日付で作成されているのに、前記(B)請求書は本来五月分として請求されるべき筈の三月二二日の分が含まれているほか、その作成日付も他の架空取引と目される請求書と同様三月切日とされ、かつその請求単価も正規のものが殆ど六七、〇〇〇円あるいは六九、〇〇〇円であるのに八四、〇〇〇円と極めて高額に記載され、而も代金は翌月五日払いの約定であつてそれ以前の弁済は商取引においては特段の事情のない限り考えられないのに、弁済期前の同月三一日にすでにその支払が為された如く支払済印が押捺されていること、もつとも右の単価の高額に記載されている点に関してはさきに指摘した如く、原審証人林田貞春は被告会社より那須野に対し差額三〇万二、四三七円を返金した旨供述しているけれども、右供述は国税局の査察の段階において為されておらず、検察官に対してはじめてその主張をしたものであつてその信用性に乏しいばかりでなく、これを裏付ける何物もないので右証人の供述はたやすく信用し難い。もともと柿本商店名義による架空取引をはじめたのは、さきにも認定した如く、那須野の依頼にもとずくものであり、毎月那須野側より架空請求書に記載すべき品名、数量等を記載したメモを被告会社の宮下社長に渡し、同社長は妻あるいはその弟らに右メモにより自宅で柿本商店名義の請求書及び納品伝票を作成させ、同時に那須野側はこれに見合う約束手形を振出して被告会社よりその割引を受け、その際三パーセントの手数料を支払つていたというのであり(このことは当審において弁護人提出のメモ及びこれに見合う約束手形が振出されている事実に徴し明らかであり、この点に関する原審及び当審証人古川巌の証言は信用し難い。)、本件の(A)、(B)請求書についても当時これに見合う金額の約束手形が振出されている(宮下平吉作成の上申書)こと、又、右各請求書はいずれも宮下社長の妻宮下春子によつて作成されて正規の請求書の筆跡とは全く異つていること、又納品伝票はもともと会社の係員が作成すべきものと考えられるのに(B)請求書分の納品伝票は一部は東茂和他は宮下平吉(当時の社長)が作成したものであつて、社長自らが納品伝票を作成すること自体極めて不自然である。そしてこれに那須野の「林田」の検収印が押捺されていることもさきに認定したとおりであるが、同人は那須野の専務取締役であつてかかる地位にある者が現品を直接検収することもまた不自然である。さらに右伝票にさきに認定した如き付記をすることは容易に実取引が露見する虞れがあることを考えると、弁護人所論の如く架空取引と実取引との区別を不明確にするための工作として後日記入されたとも考えられないことはない。もつともこの点に関し原審証人寺西悦治は、「柿本商店の納品書で品物が来たのでわかり易くするため記入していたが、林田専務から宮下から来るものだから以後書かなくてもよいとの指示があり、それからは記入していない」旨供述しているけれども、二月二五日、二九日、三月五日の分に付記がなされているが、三月一〇日、一一日の分には付記がなく、さらに三月一二日一五日に至り再び記入されている事実に徴し、右証言はたやすく信用し難い。その他さきに指摘した被告会社と那須野との従来の取引の実績に徴し、昭和三五年一月分及び四月分について正規取引分の請求が全くない点について不可解な点がないではないけれども、この点についても被告会社の正規の取引を記載したと思われる売上帳(昭和四〇年押第二〇八号の一九)の記載によると、被告会社は那須野に対し同年一月分として計二〇二万六、五五二円、二月分として計四〇万七、〇三二円三月分として計二五万七、〇四六円四月分として計一〇〇万八、七九三円の各売上げが記載されていること、一方那須野に対する被告会社名義の同年二月分の正規の請求書(前同押号の二一)には右売上帳記載の取引のうち昭和三四年一二月二一日以降昭和三五年一月二〇日までの取引分を抽出して、一七二万七、四三二円の請求が、又三月分の同様請求書(前同押号の二一)には同年一月二一日以降二月二〇日までの取引分を抽出して七八万六、三二三円の請求がそれぞれ為され、二月分については二月六日に三月分については三月一四日にそれぞれ入金があつた旨右売上帳に記載されており、他方、被告会社の物品出納帳(前同押号の六)によると、右売上帳記載の取引の日に対応する日にそれぞれ鋼線あるいは鉄線が那須野その他に出庫された旨記載されていることを考えると、必ずしも前記一月分及び四月分として請求されるべき取引が全くなかつたわけではなく、ただいかなる理由かその請求が為されず又その支払いも為されていないというだけであるとも考えられるのみならず、右売上帳及び物品出納帳には本件(A)、(B)各請求書記載の取引日に対応する日に売上げ及び商品出庫の記載が全くないことも認められるのであつて、以上認定の事実関係を比較検討すると、(B)請求書の分についてはさきに指摘した如くたしかに実取引の疑いも存するけれども、反面架空取引であることの疑いも多分にあり、これをたやすく実取引であると断定するにはその証明は十分でないといわざるを得ない。したがつて(B)請求書分を売上除外であるとした原判決は事実を誤認したものというべく右誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決中判示第一の罪に関する部分は破棄を免れない。論旨は理由がある。
控訴趣意第二点(量刑不当の主張)について。
所論は原判決の量刑不当を主張するものであるが、原判示第一の罪に関する部分については前段説示の如く破棄すべきものであるから量刑不当の論旨に対する判断を省略し、爾余の罪に関する部分についてのみ判断を加える。そこで調査するに、本件は被告会社が三事業年度にわたり計画的に売上収入の一部を公表帳簿より除外し架空の仕入れを計上する等の不正経理を行い、所得金額を秘匿し、原判示第一の分を含め総額約一、七〇〇万円にのぼる多額の法人税を逋脱したことを考えると、原判決の量刑も首肯できないわけではないけれども、その後国税局の更正決定にもとずいて、本件三事業年度における法人税、加算税、重加算税、延滞税及び利子税を合せ本件逋脱税額を上廻る二、六八一万七、四五〇円を納付し、同事業年度における事業税地方税を合せると実に四、七六一万五、二九一円の巨額の納税を行つていること、その他本件記録及び当審における事実取調べの結果により認められる諸般の事情に徴すると原判決の量刑はいささか重きに失するものがあると考える。原判決中判示第二、第三の点も亦破棄を免れない。論旨は理由がある。
よつて刑事訴訟法三九七条、三八二条、三八一条により原判決を破棄したうえ同法四〇〇条但書にしたがいさらに次のとおり自判する。
原判決の認定した判示第一の事実中被告会社の所得金額を二、〇六〇万九、七五八円これに対する法人税額を七七三万一、六八〇円、又逋脱税額を四八七万一、四八〇円とそれぞれ訂正するほかはすべて、原判決認定の事実を引用し、これに対し原判決挙示の各法条を適用して主文二項のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山田近之助 裁判官 瓦谷末雄 裁判官 岡本健)
昭和四〇年(う)第五四八号
控訴趣意書
法人税法違反 宮下鋼線株式会社
右被告事件につき昭和四〇年一月二二日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し控訴を申し立てた理由は左記のとおりである。
記
第一点、原判決には判決に影響を及ぼすべき事実の誤認がある。
原判決は罪となるべき事実として
「被告会社は大阪市城東区今津町九二七番地に事務所を置き、伸線業等を営むものであるが、被告会社の代表取締役であつた宮下平吉は被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て
第一、被告会社の昭和三四年五月一日より同三五年四月三〇日までの事業年度における所得金額は二、二五二万五、一三一円、これに対する法人税額は八四五万九、五三〇円であるのに拘らず、売上収入の一部を公表帳簿より除外する等の不正経理をなし、所得金額中一、四七三万五、〇四三円を秘匿したうえ、同三五年六月三〇日布施税務署において同署長宛に、右事業年度の所得金額は七七九万八八円、これに対する法人税額は二八六万二〇〇円である旨過少に記載した法人税確定申告書を提出し、もつて不正行為により右事業年度の法人税五五九万九、三三〇円を免れ
第二、被告会社の昭和三五年五月一日より同三六年四月三〇日までの事業年度における所得金額は一、四五九万四、六一一円これに対する法人税額は五四四万五、九四〇円であるのに拘らず、売上収入の一部を公表帳簿より除外し、架空の仕入を計上する等の不正経理をなし、所得金額中一、三一六万七九四円を秘匿したうえ、同三六年六月三〇日、前記税務署において、同署長宛に右事業年度の所得金額は一八〇万二、二一七円、これに対する法人税額は五九万四、七二〇円である旨過少に記載した法人税確定申告書を提出し、もつて不正行為により右事業年度の法人税四八五万一、二二〇円を免れ、
第三、被告会社の昭和三六年五月一日より同三七年四月三〇日までの事業年度における所得金額は二、〇七二万三四五円これに対する法人税額は七七七万三、七一〇円であるのに拘らず、前同様の不正経理をなし、所得金額中一、九七一万九、四五四円を秘匿したうえ同三七年六月三〇日、前記税務署において、同署長宛に右事業年度の所得金額は一〇〇万八九一円、これに対する法人税額は三三万二六〇円である旨過少に記載した法人税確定申告書を提出し、もつて不正行為により、右事業年度の法人税七四四万三、四五〇円を免れ
たものである。
との事実を認定し、右認定の証拠として
一、登記官吏伊勢泰一作成の被告会社登記簿謄本
一、宮下平吉の当公判廷における供述(但し否認部分を除く)
一、宮下平吉の検察官に対する供述調書三通
一、大蔵事務官作成の宮下平吉に対する質問てん末書八通
一、宮下平吉作成の上申書三通
一、宮下平吉作成の大蔵事務官宛書簡二通
一、証人朴甲生、同岡本元旦、同寺西悦治、同古川巌の当公判廷における各供述
一、当裁判所の証人林田貞春、同宮村勉に対する各尋問調書
一、岡本元旦、宮下増平、宮下博明の検察官に対する各供述調書(各二通)
一、東茂和、中前照夫の検察官に対する各供述調書
一、大蔵事務官作成の岡本元旦、宮下増平、宮下博明に対する各質問てん末書(各二通)
一、大蔵事務官作成の東茂造、中谷政男、東茂和、中前照夫、鶴岡春吉、辻野延太郎、松裏要に対する各質問てん末書
一、大蔵事務官岩崎久次作成の証明書三通
一、谷野稔作成の大蔵事務官宛の書簡
一、金森直一、平井正明(二通)、安田秀嗣、広沢一、中前照夫、桑山弘一、辻野延太郎、東海銀行上六支店、三菱銀行今里支店、藪内幸一郎、田中久喜、渡辺洋三郎(二通)、谷野稔、今井田善蔵、東条与志央(二通)、辻野延太郎、川崎茂、大串逸明、梅原沙予子、岡本鉄雄、奥田忠雄作成の各確認書
一、松裏要、中道誠夫、竹内春雄作成の各供述書
一、大蔵事務官作成の調査書一九通
一、株式会社三和銀行放出支店支店長黒沢文夫作成の証明書二通
一、押収にかかる買掛金帳一冊(証第一号)、仕入原材料台帳一冊(証第二号)、総勘定元帳一冊(証第三号)、手形受払帳一冊(証第四号)、経費明細帳一冊(証第五号)、物品出納帳一冊(証第六号)、総勘定元帳(証第七号)、経費明細帳一冊(証第八号)、物品出納帳一冊(証第九号)、銀行勘定帳一冊(証第一〇号)、物品出納帳一冊(証第一一号)、手帳一冊(証第一二号)、金銭領収書綴一綴(証第一三号)、仕入帳三冊(証第一四号、第一五号、第一六号)、棚卸明細一冊(証第一七号)、手形帳一冊(証第一八号)、売上帳一冊(証第一九号)、不動産関係領収証書七枚(証第二〇号)、支払済請求書綴一二綴(証第二一号)、売掛帳二冊(証第二二号、第二三号)、買掛帳一冊(証第二四号)、買掛金帳一冊(証第二五号)、納品書綴(二月分)一冊(証第二六号)、納品書綴(三月分)一冊(証第二七号)、納品書綴(四月分)一綴(証第二八号)
を掲記し
弁護人の主張に対する判断として
「次に弁護人は本件公訴事実中第一の那須野ガーネツト工業株式会社関係の売上除外一九一万五、三七三円は、売上除外ではなく、相手方の依頼により約束手形を割引したものであると主張するけれども、前記各証拠によれば判示のごとく認定するのが相当であり、右認定に反する被告会社代理人宮下平吉の供述は前記各証拠に照して、たやすく措信することができず他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。したがつて右主張は採用しない。」と判示しているが、右弁護人の主張を排斥した原判決の事実認定は経験法則を無視し、証拠の価値判断を誤り採証の法則に違反し、ひいて事実の誤認に陥つたものである。
一、本件は法人税法違反事件であるに拘らず、検察官の立証は財産増減法によらないで損益計算法によつているため被告会社においては原審で主張した
(一) 朴甲生関係の売上除外認定に対する否認
(二) 那須野ガーネツト工業株式会社(以下那須野と略称する)関係の売上除外認定に対する否認
のほかいわゆる簿外経費や半硬鋼線材買入れ分等の主張もなし得たわけであるが、その正確な算出が困難であることと審理を徒らに複雑にすることを考慮し情状としてのみ主張し、最も確信のある前記(一)(二)の二点にのみ主張を整理したのである。然るに原審においては(一)の主張は認容されたが(二)の主張は排斥されたのである。
控訴審においては右(二)の主張について特に御慎重なる御裁断を仰ぐ次第である。
二、昭和三五年三月切日付で柿本商店名義で那須野宛に作成された請求書は次の二通である。
一、金額二、四三五、八三二円のもの……以下(A)請求書という
一、金額二、二一七、八一〇円のもの……以下(B)請求書という
検察官は(A)請求書は被告会社が那須野の架空仕入に対する協力のため作成したものであるが、(B)請求書は被告会社が現実に那須野に対し商品を売却したものに関し作成されたもので、単価が実際よりも高く記入されているために那須野へ差金三〇二、四三七円を戻しているから残額一、九一五、三七三円が被告会社の売上除外であるというのである。これに対し当時の被告会社の代表取締役であつた宮下平吉は(A)(B)二通ともに那須野の架空仕入に対する協力のために作成したもので那須野がその支払のために振り出した手形を割引してやつたもので差金三〇二、四三七円を払い戻したこともなければその必要もないものであると述べている。
三、右争点の解決については先づ基本的に那須野と被告会社の利害が相対立していることを考慮しなければならない、(B)請求書が検察官の主張どおりとすれば被告会社の売上除外となり、被告会社の主張どおりとすれば那須野の架空仕入となつていずれかが法人税法違反となるのであり、検察官の主張は那須野の主張を正当としてそれに基いてなされているのであるが、本件のような租税犯では一般刑法犯における被害者と被疑者といつた関係とはその趣を異にしており参考人の供述を一方的に信用することは極めて危険といわねばならない。
特に那須野に対する国税局の調査方法については不明朗な点を感ずるからである。即ち原審第七回公判における証人宮村勉(国税査察官)の証言によれば那須野は昭和三三年から同三六年までの間に概算九、五五〇万円という莫大な架空仕入を発見しておりかりに本件で問題となつている二、二一七、八一〇円につき実仕入を認めるとしても被告会社の犯則事犯に比して那須野のそれは遙かに大規模な犯則事犯であるのに右架空仕入が必ずしも犯則所得にならないとの理由か事件処理の有無について明らかにしないこと
那須野の専務取締役林田貞春は昭和三七年一〇月八日宮村勉査察官に対し「手形が現金になるまでの間は私の手許で架空に計上を依頼した分の明細の手控がありますのでこれによつて判明します」と述べているので、その手控さえ見れば本争点は容易に明確ならしめ得るのにこれが押収されていないこと等、この種事件の調査捜査の経験を些かでも有する者ならば誰しも疑を挿まざるを得ないのである。
四、那須野においては自己の架空仕入の金額を減少させ、或はその把握を困難ならしめるため税務調査に対し真剣の努力を払うのは当然である。
検察官主張の根拠は宮村証人の証言にあるごとく
1 納品書に検収者の検印のあること
2 納品書に「宮下より」「宮下鋼線より」と附記されていること
3 納品書の筆蹟に差異のあること
4 納品書が他の架空分よりも汚れていること
5 那須野の手形金額に見合う裏勘定資金からの出金がないこと
6 那須野の総計算の結果、架空仕入として取扱えば不合理となること
の諸点であり原判決もこれらの諸点を認めて(B)請求書分は被告会社の売上除外であると認めたものと思われる。
然しながら(B)請求書分の納品書に検収者の検印があつたり「宮下より」とか「宮下鋼線より」との記載があるとしてもこれをもつて直ちに実仕入と断定することはできない。
すなわち該納品書は柿本商店作成名義であつて那須野が税務署の調査に備えて右名義を利用して被告会社との間で数千万円に及ぶ架空仕入を立てているのに、その納品書にわざわざ「宮下より」とか「宮下鋼線より」とか書いて税務署の調査で容易に発覚するようなことをするとは到底考えられないことである。
しかも証第二六号、証第二七号によれば右のような附記のある納品伝票は
昭和三五年二月二五日
二月二九日
三月五日
三月一二日
三月一五日
の五通でその期間は約二〇日間に亘つている。
原審証人寺西悦治は
「宮下鋼線からの線の持込に拘らず柿本商店の納品書で来ましたので事務上僕らはわかりませんからわかりやすくするためにこういう風に記入しておつたわけです。ところがこれはもう宮下鋼線からくるんだから以後書かなくてもいいという専務さんからの指示をいただいてそれからそういうことは書いておりません」
と述べているが、専務取締役林田貞春が気づいたまま放置しておくというようなことは常識上到底あり得ないことである。
もしそのまま放置しておけば所轄税務署員による調査において直ちに発見され数千万円に及ぶ架空仕入の実体が暴露する危険が十分に存するから当然被告会社に書替えを求める筈である、那須野においては被告会社が大阪国税局の査察調査を受ける前に既に税務署の調査を受けておりこのことを被告会社へ内報した事実もあり、架空仕入が暴露する可能性を察知してその際架空仕入と実仕入との区別を不明確にするための工作としてその段階において附記を加えたり関係者の印を押したりすることも十分に推測できるのであつて証拠物に基づき附記、捺印の時期について鑑定を煩わしたい。
五、那須野の関係者が極力架空仕入を秘匿するためできる限り実仕入であると主張しようとすることは以下原審証人寺西悦治や古川巌の偽証によつても首肯できる筈である。
○寺西悦治証人の偽証
寺西悦治偽証の内容は次の第一表のとおりであつて国税局や検察官が明らかに架空仕入と認定している(A)請求書分についてすら九通の納品書中七通分を実仕入と証言している。
第一表
(A) 請求書の基礎となつた納品書一覧表(証第二六号、第二七号に編綴のもの)
<省略>
○古川巌証人の偽証
古川巌は
問 最初の請求書ですが二通共(註(A)(B)の各請求書)あなたの方へ現物が入つているわけですか
答 入つております
問 昭和三十五年三月切の両方とも現物があなたの方に入つたとこういう御証言ですね
答 はいそれで支払済の判がチヤンと押しております
と証言しこれ又国税局や検察官が明らかに架空仕入と認定している(A)請求書についてすら支払済の判がチヤンと押してあるから実仕入だと虚偽の証言をしている。
又同証人が自ら作成して被告会社へ渡した架空仕入の計算メモについてこのメモは取引内容についての照会メモであると述べているが、これは昭和三七年一二月一八日付宮下平吉作成の上申書の割引手形表に掲記されている、昭和三五年一二月二九日振出同三六年五月一八日支払の金額三、三一三、五一五円と全く一致するものであつて取引内容についての照会メモでないことは極めて明白であり、その供述は偽証である。検収印等が形式的に揃つていることだけで何人もが躊躇なく那須野の主張を認めることはできないと思料する所以である。なお右計算メモは原審において弁護人の要請により初めて提出されたものである。
六、次に納品書の筆蹟であるが原審に現れた証言によれば次の第二表のとおり、宮下平吉及び同人の妻宮下春子の弟東茂和の両名が記入しており、さきの第一表分は宮下春子が記入しており(A)(B)の請求書は右の各納品書に基いて宮下春子が作成しているのであるから、いずれも宮下鋼線株式会社の事務担当者の作成する実売買の納品書と異つており、第一表、第二表の間に筆蹟の差異があつてもそれは家族間で分け合つて書いたものであり(A)、(B)請求書がともに宮下春子の筆蹟である点に鑑みても両者は共に那須野の架空仕入分と考えるのが常識である。
第二表
(B) 請求書の基礎となつた納品書一覧表(証第二六号、第二七号に編綴のもの)
<省略>
七、(B)関係の納品書が架空分のそれに比して汚れているという点については現場検証をして頂けばすぐ判明することであり、原審証人宮村勉は
問 筆蹟を今聞いておるんじやないんですよ、汚れておるかどうかということをあなた区別をおつけになつたと言われるから聞いておるんです。
答 それは著しい汚れがあつたというのはその分の内容ではないわけです。
と答えていて自ら証言内容の誤を認めているのである。
八、那須野の手形金額に見合う裏勘定資金からの出金がないことについては宮下平吉が平素から多額の現金を持つていたことが明白であり、これによつて出金することは十分に可能であつて(B)請求書分の手形を現金化した形跡がないとは決して断定できない。
九、又那須野の総計算の結果(B)請求書分を架空仕入として取扱えば不合理であるというのであれば、宮村証人はその内容を明確にすべきであるのに那須野の査察事件についての立件の有無すら明らかにしないのであつて、かような漠然たる表現をもつて被告会社の犯則に押しつけ那須野の関係については検察官にすら知らしむべからずとの査察当局の態度なのではあるまいか。
本件は査察官が職権調査をすれば直ちに解明できる幾多の点を解明せず、捜査検察官もそれを黙過されていることに不可解を感ぜざるを得ないのである。
一〇、以上のごとく検察官の主張は十分納得せしめるものではなく、さらに被告会社において(B)請求書分もまた架空であるという積極的な理由は次のごとくである。
<1> 単価上の主張
(A)(B)両請求書ともに明白なように商品屯当り単価は鋼線で八四、〇〇〇円、鉄線で六二、〇〇〇円であるが同時期の正規取引分(昭和三五年二月二一日付請求書証第二一号中)では鋼線で六七、〇〇〇円ないし六八、〇〇〇円、鉄線で六二、〇〇〇円となつていて鋼線では屯当り一六、〇〇〇円ないし一七、〇〇〇円の差異があるのである。
従つて(A)(B)とも架空仕入分と認めるのが相当である。
このことについて原審証人古川巌は
問 この単価は当時の取引としては非常に高いですね。
答 「いやそんなことはありません、それ以上の十万三千円から高いのが十三万のがあります」
と証言しているが右の証第二一号からそれが偽証であることは明白である。
他方原審証人林田貞春は単価の高い分の差金三〇二、四三七円は現金で被告会社より返金を受けたというが右返金は正規帳簿に入金の記帳はない。
しかも右の主張が査察当時にはなされず、検察官に対し突如として言い出したという疑が宮村証人の証言によつて生じたので、弁護人より真実発見のため、右林田貞春の国税局における質問てん末書の提出方を検察官に要請し、その提出があつて初めて検察官の段階で言い出したことが明らかとなつたのである。
<2> 請求書の形式上の主張
被告会社が那須野ガーネツト株式会社に商品を売却する時は毎月二〇日締切で二一日付で請求書が作られ、月末又は翌月五日支払がなされるのが通例でいずれも那須野の受付印と支払済印が押捺してあることは証第二一号の各請求書によつて明白である。然るに(B)請求書は二月二四日分から三月二一日分及び三月二二日分までの分が記入され、作成日時は三月切日となつていて三月三一日の支払済印はあるが受付印が押捺されていない。
架空仕入分請求書に受付印が押捺されず、支払済印のみが押捺され、切日付となつている事実は本件(A)(B)のみならず証第二一号中の
昭和三五年二月切日付 二、六一六、六五〇円
同 年四月切日付 一、八一〇、八六〇円
同 年五月切日付 三、〇四七、五四五円
同 年六月切日付 二、〇〇五、九八一円
同 年七月切日付 三、五三七、一一二円
をみても明らかである。
従つて那須野側において、前記のごとく納品書の検収印等の形式を主張するならば、この点においても統一的な取扱がなされるべき筈であつて、むしろ所轄税務署の任意調査の段階において、納品書に対する工作を考えついても、架空分請求書についての受付印洩れまでは考え及ばなかつたものというべきではあるまいか。現段階においてこれらの点について那須野関係者の自白を得ることは至難であろうがそれによつて被告会社が不利益を認定されることは誠に遺憾である。
一一、国税局が那須野を遇すること厚きことは半硬鋼線材の仕入記帳洩れの調査経過からみても明白である。
被告会社は昭和三五年二月一二日頃、那須野から約一七屯の半硬鋼線材を買い、これを記帳洩れしていたのであるが査察段階でこれを主張したところ、那須野側ではこれを極力否認したので査察官は、那須野の主張を支持して譲らず被告会社では八方手をつくして調査し、ようやく運送屋の帳簿で一、四〇五屯が裏付けできたところ、その分のみ認容され、運送屋によらず自ら持帰つた約三屯については否認されている事実については、宮下平吉の原審公判廷での供述によつて明らかであつて、この経過から那須野側では明確な証拠を示さない限り自ら進んで自己に不利になることは言わないし、査察官も亦これに加担していたものと推測できるのである。
以上の諸点を綜合考察すれば、原判決は明らかに偽証である寺西悦治、古川巌の原審公判廷における各供述を証拠となすなど採証の法則に違反し、そのため証拠の価値判断を誤り(B)請求書分を被告会社の売上除外と認定したのは判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認である。
第二点、原判決の刑の量定は重きに失する。
一、原判決は第一点掲記の第一ないし第三の各事実を認定し、被告会社に対し判示第一の罪につき罰金一五〇万円、判示第二の罪につき罰金一五〇万円、判示第三の罪につき罰金二二〇万円に処しているが、右の量刑は次の各理由により重きに失し不当である。
二、本件の行為者宮下平吉は明治二二年一一月八日生の高齢者で、かつ動脈硬化症で職務に耐えられないので本件検挙後責任を痛感して被告会社の代表者を辞任し、長男の宮下増平が代表者となり爾後いわゆるガラス張りの経理を行なつている。
三、本件違反については更正決定に基づき国税地方税合わせて、五六、七六二、三九〇円という多額の税を完納している。
これは原審判決が認定した三ヵ年の所得秘匿分の合計四七、六一五、二九一円を一一、一四七、〇一九円上廻つているのであつて、原判決が弁護人の主張を認められた朴甲生関係の売上除外分や、検察官が起訴前に認められたブローカー仕入分についても国税局の主張のまま課税され、それに附随して重加算税も加重されたためかかる計算結果が生じたものであつて苛酷極まりないものである。
被告会社は右税については、資金繰りに非常な無理をして漸く完納したものであるのに更に本件によつて多額の罰金刑を科せられることは実質上の二重処罰であつて、今後の会社経営について影響するところ大である。
かように手持現金は税金と罰金に吸い上げられて再生産の手段を失い、会社設備、不良債権などが帳簿上会社資産として残つている矢先、ひとたび最近における産業界金融界の不況の波が襲い、受取手形の不渡が発生するならば一朝にして被告会社は倒産し、多数の従業員及びその家族を苦境に追い込まねばならないのである。
四、本件については十大紡と取引関係にある那須野の違反が本件と直接関係があり、かつ本件よりもはるかに大がかりと思われるのに査察立件されて居らない事実を思うたびに、被告会社においては多分に釈然としないものを感じているわけである。
五、原判決認定どおりとしても三ヵ年の逋脱税額は一七、八九四、〇〇〇円であつて、これに合計五二〇万円の罰金刑を科することは弁護人が原審において参考として提出した昭和化学工業株式会社、淀川ボールト工業株式会社に対する判決に比しても重きに失する。
以上の理由により原判決を破棄しさらに相当の御裁判を仰ぎたく本件控訴に及んだ次第であります。
昭和四〇年五月一二日
弁護人弁護士 大槻龍馬
大阪高等裁判所第五刑事部 御中